#102:アークトゥルス邸

 すっかり旅支度を調えた我が息子を見送るために、カタリナはどこか諦めたような寂しげな表情でレクサの押す車いすに乗って玄関まで出ていた。
「遠いのですか?」
 そんな、いかにも不安そうな表情で自分を見る母を安心させようとしたものか、アークは微笑みながら答える。
「今度の旅はそれほど長くならないと思います。一ヶ月もせずに戻れるかと」
 その答えに、ほっと安堵の表情を浮かべたが
「そうですか……でも、気をつけなさい」
 と、カタリナは最終的に息子を案じる母の顔になった。
 その視線を若干重たく感じたアークは軽くうつむいた。
 すると、編み上げブーツの紐が緩んでいるのに気がつき
「そう言えば……」
 と、片膝を付いて紐を結び直しながら、母親に話した。
「先ほど、スパシアーさんと言う人にお会いしましたよ」
 緩んでいたのは右の紐だったが、念のため左も結び直す。
 この話題で、少し重たい空気を変えられればと。
 滅多に外に出られない母親のこと、旧知の人物にまつわる話はきっと心を和ませるだろうと。
 そう思いながら、アークは顔を上げた。
「なんでも、あのグラーディアスの開——」
 アークの言葉が、突然止まった。
 顔を上げたアークが見たのは今まで見たことの無いような、母の驚愕の表情。
「——どうしましたか?」
「いえ……なんでも。なんでもありません」
 何でもない筈がない……明らかに狼狽を隠し切れていない母を前に、アークはなんとも言えぬ胸騒ぎを覚えた。

 一体、スパシアーと言う女性は何者なのか?
 ——父と何かあったのか?
 理由や真実を知りたい気持ちと、母を追求するに忍びない思いとに挟まれ、絶句したまま立ち尽くすアークに
「ほとんど話したことはないのですよ」
 と、カタリナはようやく語る。
 額ににじむ冷や汗をハンカチでぬぐいながら、伏し目がちに付け加えた。
「お名前は、存じ上げてますけれど」
 そう、ですか……と。
 ただそれだけの曖昧な言葉を、アークは返した。
「では、そろそろ——」
 アークは、諸々を断ち切るかのように荷物を担ぎ上げた。
「お母さん、お元気で」
 一礼して、アークは旅立つ。
 そのアークの背中に、母の声が弱々しくかかった。
「くれぐれも、気をつけるのですよ」
 はい、と。
 短く答えを返し、アークは帝都を旅立ったのだった。

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