#107:ゴート執務室(一)

 帝都イリオンの昼下がり。
 ゴート邸の中庭では、若者たちが汗を飛ばしながら修行に励んでいた。
 そして、館の主であるゴートは終始一貫してうんざりした表情のまますべての書類にサインをし終わり、今まさにまとめて既決箱にたたき込んだところだった。
「さて、と……」
 ちょっと嬉しそうに独白しながら、ゴートは部屋の隅に置いてあるクラテール——水で割ったワインを入れておく甕だ——の方へ足取りも軽く歩いて行った。
 このイリオンではワインは水で割って飲むことが一般的で、ストレートでワインを飲むのはならず者の大酒飲みか田舎モノの蛮族だとバカにされていたが
(バカにしたいヤツは、面と向かってしてみればいい)
 と、脅……開き直って、ゴートは自分のクラテールをストレートのワインで満たしていた。
 棚からゴブレットを手に取り、甕の口を覆う布に手を伸ばしたその瞬間

「——失礼致します」

 と、扉の向こうから、番兵のまじめくさった声が響いた。
 ゴートはいかにも残念そうにゴブレットを棚に戻してデスクの方に歩いて行く。
 そして、デスクの前に立ったまま、ゴートは扉の向こうに言う。
「おう、入れ」
 失礼しますと、ゴートの返事を聞いて若い番兵が入ってくる。
 なんだよ、と言う風に少しく不満な色を顔に浮かべているゴートに慇懃無礼に報告した。
「旅の情報屋と申すものがゴート卿を訊ねて参りました」
「俺を? 情報屋?」
 全くの予想外な報告に、ゴートはとっさに事情がつかめず首をかしげる。
 はい、と答えた番兵も対処に迷っている感じで続きを述べる。
「旅の商人を装っておりますが、情報を買って欲しいとのこと」
 一拍の間。ゴートから返事がないのを見て、番兵は
「いかが致しますか?」
 と、返事を促した。
 ゴートはしばらく考える風だったが。
「うん、いいだろう。通してくれ」
 と、言い置いて自分の椅子に腰掛ける。
 そのゴートの返事を聞き。一礼をして出て行く番兵。
 それを見送って、ゴートはうーんと伸びをした後で考える。
(まあ、情報はいくらでも欲しいからな)
 先日来、予想外の出来事が多発している件が否が応でも頭をよぎる。
 ゴートは椅子に腰掛け直すと、相応に居住まいを正した。

 ややあって、コンコンとノックの音が響く。
 入れ、と言うゴートの返事で入ってきたのは一人の若者だった。
 旅用の厚手のマントを跳ね上げ、しゃれたデザインのシャツと革のベスト。くすんだピンクの地に紫で柄が入っているピタッとした細いパンツ。
 情報屋と言うよりも、よく言って伊達男。悪く言えば旅芸人。
 あまりに胡散臭い若者を、怪訝そうに見るゴートに向かって失礼しますでも、こんにちはでもなく、若者は陽気な声でこう言った。

「どーも、風来坊のミュートスです!」

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