#116:練兵場脇(一)

 ゴート邸を辞して、クニスカは旅支度をするために自宅へと向かっていた。
(……とりあえず、ミュートスの隠れ里を当たってみよか)
 と、手がかりがあるようで全くないと言う状況を、少しでも打破しようとクニスカは頭の中でざっくりとルートを考える。
 ふと脇を見ると、練兵場では重装歩兵が密集隊形——ファランクスの訓練をしていた。
 見るからに重そうな青銅製の兜をかぶり、円形の厚い木の上にこれまた厚い牛革を何枚も重ねて縫い付けた重い盾を構え、極めつけは五〜六メーターはあろうかと言う長い槍を持ち、ゆっくりゆっくり密集して前進する。
(おお、結構サマになってきたやンか)
 最初にクニスカが見た頃は、五分も行軍していると疲れで隊列が乱れ隙間だらけになって、なんとも見苦しいファランクスになっていた。
 盾を持っていない方の半身は隣の人間の盾でカバーすると言うくらい密集しなければ意味のないファランクスであるが、その実それなりの人数が密集したまま戦闘行動をとるというのは大変困難なことで。何ヶ月訓練を積んだ部隊なのかはわからないが、ようやくサマになってきたと言うことだろう。
(でも……ファランクス組んで戦う相手なんて、おるンやろか?)
 広々としたトコで大軍同士って感じやんな、と。そんなことを考えながら歩いていると。

「これはこれは! クニスカ卿ではありませんか!」

 と。いきなり若い男からクニスカは声をかけられた。
 年の頃は二十歳そこそこ、と言う感じだろうか。なんとも育ちの良さそうな優男風の若者で、格好から察するに騎士——それも、ずいぶんと裕福な——であろう。
 飾りの多いサーベルを腰に下げ、これまた装飾華美な騎士服を身にまとい、にこやかにクニスカに近づいてくる。
(かー、間ンの悪い……!)
 実は、クニスカはこのいかにもな『エェトコの坊ン』が苦手であった。まったく予測していない遭遇に、心中困惑しつつ、されども親御さんが帝国の有力者ということでそうそう無碍にも出来ず
「ご無沙汰ですな、アガトン卿」
 と、愛想笑い全開でお相手をすることにした。
 件のアガトン卿、実に上機嫌に返事をする。
「本当にご無沙汰ですね。クニスカ卿はお変りありませんか?」
「まあ、ぼちぼちやってますワ。アガトン卿はどないですか?」
 その社交辞令的な問いかけにアガトンは咳払い一発、慇懃無礼に話し始めた。
「ありがとうございます、私は至って元気なのですが……」
(せやな。見れば分るワ)
 肌の色つやもテッカテカで、見るからに健康そうなアガトンをクニスカはジト目で見る。
 アガトンはそんな目線には全く気づかずに話し続ける。
「先日、陛下から賜った名馬に子供が出来まして」
(しらんがな) 
 『陛下から賜った』テ、言いたいだけやろと。なおもジト目続行中のクニスカであった。
 しかし、クニスカの細い目ではジト目が伝わらないのか、アガトンはなおも上機嫌で話し続ける。
「いや、賜った馬は牝馬ではなく牡馬なのですが……」
(メスやのーて、オスやっちうことかい?分りやすく言うてンか)
 ちなみに『ひんば』『ぼば』と読む。
 なお、この単語がスラスラ読める人は得てしてギャンブラーである場合が多い。
「恐れ多くも、当家に陛下のご愛馬の弟の栗毛の馬を賜りましたもので」
(『の』ばっかやな)
 クニスカは、もはや内容ではなく表現手法にまでケチをつけ始めたわけだが。
 ともあれ、そんなことに気づくこともなく、上機嫌なアガトンの話はさらに続いた。
「そのような誇り高い名馬の血縁に連なる仔馬に、万が一のことがあれば一大事と。私も馬場の脇で一晩中見守りまして」
(別にみとったかて何もでけへンし、アンタがおってもへぇのツッパリにもならへンがな)
 相づちの一つも打たずに、クニスカは心中ツッコミ続ける。
 そして、そんなことにはまるで気がつかぬ体で、アガトンは目を閉じうっとりとした表情で思索にふけりながら語り続ける。
「いよいよ子馬が細い足を見せ、ようように生まれたときにはもう……」
(もう、はよしてー!)
 そのクニスカの心中のリクエストは却下され。
 アガトンは、その後十数分間にわたって、馬の出産の話を続けたのだった。

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