第6章:狩人

#118:ダフニ近郊、山中(一)

 全身に生傷を作り、麻と綿で縫われた頑丈そうな服は所々が破れて。
 土埃にまみれ、頭のどこからか流れる血をぬぐいもせず。
 苦しげに顔をゆがませ、肩で息をしながら。
 オーラをまとった男が、目の前の敵を睨み付けている。
 彼の手には蚕魂のグラブもロゴスの指輪もない。
 ——ミュートスである証左である。

 ミュートスの男と対峙しているのは、一言で言うと『妖艶な美女』。
 胸と腰回りをかろうじて隠すデザインの、黒いスカートビキニを身に纏い。
 長くボリュームのある赤い髪を邪魔にならないように編み上げ。
 蚕魂のマスクで顔の下半分を覆ってなお、美女であることが容易に伺える整った顔立ち。
 気の強そうな切れ長の瞳と、黒基調の露出度の高い服装、そして右の太ももに咲く一輪の薔薇のタトゥー。
 そうした彼女のいでたちに、右手に持つ使い込まれた革の鞭が実にマッチしていた。

 ——ミュートスハンター。
 賞金稼ぎの中で、ミュートス狩りに特化した者をそう呼ぶ。
 この鞭使いの名は、オデット。
 帝国技術総監にして宰相代理である、ガレノス翁配下のエースハンターであった。

 そんな腕利きのハンターに追い詰められて満身創痍になりながらも睨み付けてくる男に、まったく無傷のオデットは余裕の笑みを浮かべて語りかけた。
「奥さんと子供、逃げ切れたかしらね?」
 予測していなかった言葉に、男は怒りと驚きがないまぜになったような表情で目を見開く。
「なんだと……!?」
 オデットは、男の背後に広がる森に視線を移した。
「アンタが私を足止めして、家族を逃がしたのは分かってるよ」
 口惜しく唇を噛む男。対するオデットは男の顔に視線を戻して
「——男じゃないか」
 と、なんとも嬉しそうに目を細めた。
 そして、少し肩をすくめながら男に告げた。
「アンタの男に免じて、家族の方は追いかけないコトにするよ——アンタだけ捕まえれば、十分な賞金がでるからね」
 それを聞いて困惑と驚きが入り交じったように瞠目した男に、オデットはなおも微笑む。
「さて、最後のチャンスだ」
 何を言っているのか、言いたいのかが分からず男は首をかしげる。
 オデットは、余裕の笑みでこう付け加えた。
「ここでアタシを倒せば、アンタも逃げることができて一家団欒ってワケだけど——できるかい?」
 目を見開き、次の瞬間にギリっと歯を食いしばる男は視線に攻撃力があるのならば、確実に射殺す勢いでオデットを睨み付ける。
「おのれ……!」
 そんな視線には露ほども動じず。オデットは鞭を持った右手をだらんと下げて微笑んだ。
「おいで。先手を取らせてあげるよ」
 すううっ。
 深く息を吸い、オーラを練り上げ……そのオーラで鎧を構築して身に纏う。
 ほう、と。感心したように自分を見るオデットに目がけて、男は渾身の言魂を紡ぎ上げた。
「『リキッドブレイク!』」
 突き出した拳の先から槍のように鋭く渦巻く液状に具現化したオーラがオデットを襲う。
「素直だねェ……そう言う男、嫌いじゃないよ」
 恐らくは完全に読んでいた。
 そんな感じの最小限のステップで攻撃をかわしたオデットは、防御のためのオーラを攻撃に回したばかりの男に向かって、たっぷりと言魂を込めた鞭を唸らせる。
「『ローズタトゥー!』」
 その瞬間、今までと比べものにならないほどの勢いで振るわれた鞭が男の身体を打ち、衝撃に固まる男の首に一瞬のうちに幾重にも鞭が絡みついた。
「残念だったね」
 オデットのその言葉を聞いてからすぐ、鞭で首を絞められた男は意識を失って崩れ落ちた。
 しゅるっと、手首の一ひねりで鞭をホルスターに戻したオデットは微笑みを浮かべたまま、仰向けに横たわる男に告げた。
「——約束通り奥さんと子供は見逃してあげるよ」
 それから手際よく男を縛りあげると、全身を覆うようなマントを羽織り、オデットは帝国兵の詰め所へ歩いて行ったのだった。

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