#143:ダフニ近郊、炭焼き小屋の前(一)

「おおい、テル三郎。お客さんだぞ」
「……そこまで長く呼ぶのなら、何故素直に本名で呼ばぬ?」

 相変わらずのマックの呼び方に、むっとした表情でテルプシコルは応じた。
 洗濯の最中だったものか、ぎゅっと絞って棒状になったシャツを片手に立ち上がる。
「ジンと二人でイノシシのように飛び出していって、ふらりと戻ってきたかと思えばずいぶんな——客だと?」
 お小言モードに突入する手前で、マックの言葉を思い出したのか、テルプシコルの動きが止まった。
 そしてお小言に付き合う気は欠片もないとばかりに、マイペースに木杓で水を飲みながら、マックは自分の背中の方を親指で指してみせた。
「おお。何でもお前さんを探してたってェ、ずいぶんと奇特なことを言ってる御仁だぜ」
「……どうにも言い方が引っかかるな、お主は」
 完全にお小言モードにシフトしながら、テルプシコルはマックの方に身体ごと向き直った。
「奇特なこととはご挨拶だな。イリオンでは知らぬものなどいないと言う程の巫女だったのだぞ」
「だから、300年前の有名人を探してきた、なんとも物好きなお方ってこった」
 まだ言うか、とマックにからかわれてすっかり憮然とした表情は……
「テルプシコル、この人なんだけど」
 と、ジンがスフィンクスとネメアを連れてきた瞬間に驚きの表情に変わった。
 オデットの襲来があったりして、すっかり意識からは抜けてしまっていたが。
 片時たりとて忘れたことのない人物が、そこにいた。

(オレステス!?)

 ぼちゃん。
 せっかく絞ったシャツを水を張ったたらいの中に落として、テルプシコルはその場に立ち尽くした。

「スフィンクスって人なんだけど……知ってる、のかな?」
 
 それには答えず、目を見開き立ちつくすテルプシコル。
(仮面をかぶってはいるが……私を訪ねてきたと言うことは、やはり……!)
 言葉を失い、驚愕の表情で棒立ちになっているテルプシコル。
 そんな尋常じゃない彼女の様子を、マック、ジン、メイミィはただあっけに取られたまま見ていた。
 「テルちゃん、どうしたの?」
 たらいに落とした洗濯物を拾いながら、心配げな表情で自分を見るメイミィのこともまるで目に入らぬかのように、テルプシコルはただただ立ち尽くしていた。
 そんな彼女の前にスフィンクスは歩み出て、マスクを外して一礼した。

(やはり……オレステス!)

 もはや、見間違えようがない。
 目をうるませ、しかし、言葉を忘れたかのように無言でテルプシコルはその場に立っていた。
 スフィンクスは、そんなテルプシコルの反応を尋常なものではないと訝しみながらも膝をつき、深く頭を下げながら口上を述べた。

「初めてお目にかかります」

公開 : (1113文字)

ページトップ