#149:炭焼き小屋の中(五)

 そして、スフィンクスはこほんと軽く咳払いをしてから、テルプシコルの方を向いた。
「テルプシコル様」
 ずいぶんとほぐれた雰囲気を、再び張り詰めさせるような、そんな表情と空気で、スフィンクスは話を切り出した。
「実は、テルプシコル様にお渡しするものがございます」
「私に? お主から?」
 テルプシコルの意外そうな表情に対して、スフィンクスはゆっくりと首を横に振る。
「私からではありません」
 すうっと息を吸い込み。
 スフィンクスは、ますます不可解な表情で佇むテルプシコルの目を見ながら話し始めた。
「遙か昔……おそらく三百年前から私たちの里に預けられ、今日まで伝わるもの」
 そう言いながら、自分の胸とネメアの背中に手を当てる。
「当代のカリオペが、そしてムーサイたちが……目覚めたテルプシコル様をお探しして、確かにお渡ししなければいけないと伝えられてきたものです」
 まったく予想だにしていなかった話の流れに、テルプシコルは大きく目を見開いた。
 失礼します、とスフィンクスは荷物の底の方から幾重にも布で包装された包みを取り出す。
「それは、なんなのだ……?」
 手のひらにのる大きさのそれは、テルプシコルにとって、まるで心当たりのないものだった。
「私も中身は存じ上げていないのですが……」
 言いながら、スフィンクスは布を取り去る。
 包みの中から出てきたのは、手のひらサイズの小箱だった。
 テルプシコルの好みから言うと、ちょっと地味なデザインと色使いの……見覚えのない小箱。
「どうぞ、お受け取り下さい」
 言われるままに受け取ろうと、テルプシコルは手をさしのべる。
 ふ、とその動きが止まった。

 スフィンクスの手が、震えていた。
 片手で簡単につまみ上げられる小箱に、どれほどの重みを感じていたものか。
 脇に控え、祈るようなまなざしを向けるネメアからも十分それは伝わってきた。
 テルプシコルはゆっくりと息を吸い込み。
 スフィンクスをいたわるように、微笑みを見せた。

「確かに、受け取った。ありがとう」

 そうして。
 スフィンクスから受け取った小箱は、想像していたよりも軽かったが。
 テルプシコルに小箱を渡したスフィンクスが一瞬見せた表情は、重荷を下ろした者のそれに他ならない。

 ——三百年。

 それは、どれほどの重さをこの小箱に与えたものか。
 テルプシコルは、小箱の蓋を見た瞬間にそれに気がつくことになる。

「オレステス……!」

 どくん、と心臓が波打った。
 蓋の金具に、かつての婚約者の名が刻んであるのを見て。
 今度は自分が震える手で、小箱を手にすることとなった。
「中を……見ても、良いか?」
 呆然と尋ねるテルプシコルに、スフィンクスは即答する。
「どうぞ、御意のままに。我々は預からせて頂いただけですので」
 そうか、そうだな……と。
 震える手で、指で、テルプシコルは蓋を開ける。
 おそらくは、腕の良い職人が作ったであろう小箱は三百年の時を経てもなお軽やかに留め金が外れ、きしみ音一つたてずに蓋が開いた。

 その中にあったのは——たった一つの装飾品だった。

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