#191:帝都辺境、ミュートスの隠れ里 - ⅰ

 帝都イリオンからかなり離れた帝国辺境。
 険しい岩山を越え、幾重にも続く杉と松の森の只中に、小さな里があった。
 若い男や女は数少なく、残りは老人と子供、そして赤子が数人——そんな、ミュートスの隠れ里であった。
 山あいの僅かな土地で栽培した野菜と山の恵みである山菜や薬草などをほそぼそと売ることを生業とする、正直貧しく慎ましやかな暮らしぶりではあったが、それでも里の人間は平和に穏やかに暮らしていた。

 そんな里に、突然災厄が訪れた。
 帝国騎士ヤニス卿が率いる——八名のミュートス狩り部隊だ。
 ヤニスは居並ぶ里の者たちを前にこう言った。
「帝国に仇なす忌まわしきミュートス共を、一人残らず根絶やしに参った」
 完全武装の帝国兵を引き連れて、見たこともないような大きな槍を構えた騎士の言葉を、里の者たちは絶望の表情で聞いた。
「大人しくしていれば、楽に殺してやる。抵抗すれば苦しむことになるぞ——さあ、どうする?」
 交渉の余地が一片もない、そんな口調と内容だった。

 そして、絶望的な抵抗が始まった。
 それは、もはや戦いと呼べるものではなかった。

 まず、里で唯一戦闘の——というか、狩りのための言魂を使えた若者は、ヤニスが放ったロゴスの前に一撃で倒れた。
 その後は……ただ、一方的な殺戮でしかなかった。
 老人も女子供も関係なく、帝国兵と騎士は淡々と命を刈り取っていく。

「せめて……せめて子供は……」
 背中から胸まで槍で貫かれた娘が、血を吐きながら懇願する。
 乳母車を押して逃げようとしたところを、ヤニスが後ろから槍で一突きにしたのだ。
「わかった。みなまで言うな」
 ヤニスは娘の背中から槍を引き抜きながら娘に告げる。
 それはさらなる出血を呼び、娘はもはや立つことができなくなったが、その表情は騎士の一言を聞いたことで少しだけ柔らかくなった。
 そして——次の瞬間。
「……!?」
 娘の声にならない悲鳴が響いた。
 ヤニスが娘の前にあった乳母車に、槍を突き立てたからだ。
「せめて子供は苦しまないように一撃で殺してくれ……と言うことだろう?」
 そう言いながら、絶望の表情で自分のことを見る娘に向かって、ヤニスは乳母車から抜いた槍を一挙動で突き入れた。
 その娘——赤子の母は前のめりに倒れこみ、最後の力で我が子に向かって手を伸ばしながら……絶命した。

 その様を面白くもなさそうに見ていたヤニスは、娘の死体につばを吐きながら言う。
「帝国に仇なす呪われたものどもに、情けなどかけられるか!」
 ミュートスは聖イリオン建国の時から、不倶戴天の敵である。
 ヤニスは槍を一振りして、穂先から血を飛ばすと兵士たちに向かって叫んだ。
「生き残りを捜せ! 一人も見逃すなよ。皇帝陛下の御為に、ミュートスを根絶やしにするのだ!」
 言いながら、槍を脇構えにして手近な民家に入っていく。
 あとに残されたのは凄惨でもなく、怒りでもなく——ただ哀しみの表情を浮かべたまま、血の涙を流して息絶えた娘の亡骸。
 その場に居合わせた兵士達は複雑な表情で俯き、そして目をそらしながらその場を立ち去ったのだった。
 そして、惨劇は小一時間で終焉を迎えた。

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