#52:崖

 気が緩んだのか、あきらめたのか……汗ばんだ手が、草を掴みきれなくなり……ずるっと、滑るように身体が谷底に落下する。

——がしっ!

 出し抜けに。
 テルプシコルの左手首が両手で捕まれた。
 テルプシコルが目を開き見上げると、そこには——必死の表情のメイミィが
「テルちゃん、しっかり!」
 ぎゅうっと。
 あらん限りの力で、テルプシコルの左手首を捕まえていた。
 その後ろから、ジンの必死な声も聞こえてくる。
「メイミィ、テルプシコル、大丈夫!?」
 ジンは腹ばいになって、崖から半分以上落っこちかけているメイミィの両足首をガッシリと掴んで支えていた。
 メイミィがロープになり、ジンがテルプシコルを引き上げようとしている感じだ。
 ただ、ジンの膂力では、メイミィもろともテルプシコルが落ちないようにするのが精一杯で、とても二人を引き上げる事は出来なかった。
 いよいよ進退窮まった風のメイミィは少し考えてジンに言う。
「ジン、私のリボンをほどいて!」
「今、手を離したら落っこちちゃうよ!」
 足を突っ張り、二人を支えるジン。必死の口調で即答した。
 そして、それを聞いたメイミィは、ジンの方に首を巡らせて言った。
「このままじゃ、三人とも落ちちゃうよ!」
 確かに、このままでは長くない。
 メイミィの言葉に納得したのか、ジンは少し考えて
「わかった」
 と、言いおいてすうっと息を吸い込んだ。

「いくよっ!」

 ぱっと。
 メイミィの足首から手を離したジン。
 ずるっと、草の上を滑るように。
 思いの外、速い速度で落ちそうになるメイミィに後ろからしがみつくとメイミィの首に巻いたリボンを、引っ張ってほどいた。
「わわわっ!?」
 その瞬間、背中にジンをのせたままメイミィは完全に滑り落ち——テルプシコルもろとも、崖から落ちる形になった。
 そして浮遊感と落下感の中で、ごおと耳元で渦巻く風音を不快に感じながら。
 テルプシコルは空いた右手で、素早く自分のリボンをほどいた。
 三人が三人、完全に宙を舞ったその刹那。
 メイミィが言魂を込めて叫んだ。
『落ちないでー!!』
 メイミィの言魂に呼応したのか、谷底から強い風が吹き上げ、三人の落下の速度が緩む。
 しかし、それ以上落下の勢いは止まらず。
 谷底に向かい、加速の気配を見せる。
(あ……!)
 作戦の失敗を悟り、メイミィの顔がゆがんだ。
 そして、その直後にテルプシコルはすうっと息を深く吸い込んだ。
 谷底から吹き上げる風を。メイミィが起こした風を感じ。
 瞬間的にオーラをはじけさせるように、強烈な言魂を紡ぐ。

『風よっ!』

 次の瞬間、谷底から吹き上げるすさまじい圧力の突風。
 風に舞う木の葉のように、三人は崖の上に舞い上がり。
 もみくちゃになりながら丘の上をごろごろと転がったのだった。

「——み、みんな大丈夫!?」
 背中、および脇腹に猛烈な打撃を受けたのを感じつつ。
 咳き込みたいところをぐっとこらえて、突風に巻き上げられた砂埃が入ったか、ジンは目を閉じながら尋ねる。
「……ああ、なんとかな」
 思いのほか、近くからテルプシコルの声が聞こえた。
 落ち着いて現状を把握すると……うつぶせになっていたジンは、地面に仰向けに寝ているテルプシコルの上に覆い被さるような感じになっていた。
「あ、ご、ごめん!」
 と、ジンは軽く赤面しながら跳ね上がるように、慌てて飛び退いた。

「うみゅうっ!?」

 と、立ち上がった瞬間。
 ジンは背中に乗っかってたメイミィをはね飛ばす形になった。
 次の瞬間、ごつっというなんとも痛そうな音が聞こえたりもした。
「あ……大丈夫?」
 とりあえず聞いてみる。
 そして、一拍の間をおいて。
 ジト眼のメイミィがむくっと起き上がった。
「今ので頭にたんこぶ出来た」
「ご、ごめん」
 謝るジンと、その横のテルプシコルを見たメイミィ。
 ちょっと目を丸くした後で、ぷっと吹き出した。
「ジンもテルちゃんも……凄いよー」
 ようやく身体を起こしたテルプシコルと、その横でぼーっと立っているジンを見てメイミィはなおも笑う。
「髪はぼさぼさだし、服もよれよれだし……」
 ふん、と鼻を鳴らしてメイミィを見たテルプシコルは、そのままニヤリと笑ってみせる。
「そっくりそのまま、その言葉を返すぞ」
「そだよね……同じ目にあったんだもんね」
 ぺたっと。
 髪はぼさぼさで、服もよれよれなメイミィは地面に座り込む。
「でも……すごいなあ」
 感心したように、呟くジン。
 なんとなしに目線を追うと……へし折れた木々と、真新しい土の層があらわな——軽く地形が変わった崖。
 テルプシコル、はあっとため息をついた。
「やり過ぎたか……」

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