第5章:言魂

#97:練兵場脇

 ゴート邸を辞して、アークは自宅へ戻るべく少し坂を下る。
 途中練兵場の脇を抜け、長槍の訓練をしている兵達を見ながら歩みを進めた。
(重装歩兵——補充したのか?)
 新兵なのか、ずいぶんと槍の扱いがぎこちない集団を見て眉をひそめる。
(ミュートス狩りに……?いくら何でも、そこまで必要ないだろう)
 などと考えながら、アークは難しい顔をして歩いて行く。 
 そして、練兵場と馬場の間の道にさしかかったとき

「あの、アークトゥルス卿……?」

 と、不意に女性の声に呼び止められてアークはその歩みを止めた。
「あ、やっぱりそうですね」
 声のした方を振り返った……すなわち自分の方に向き直ったアークを見てにっこりと笑う女性は嬉しそうに、彼の方へと近づいていく。
 その女性の顔に見覚えはなく、怪訝な表情を見せるアークに女性はなおも笑顔のまま
「お父さんにそっくりだから、すぐわかりました」
 目鼻立ちがそっくりですねと、満足そうに告げた。
 それを聞いたアークは、少し目を丸くして尋ねた。
「父をご存じなのですか?」
 十年来、行方知れずの父親。
 無論、高名な騎士であり、帝都のそれも城門内であれば父を知る人も多かろう。
 とはいえ、それだけで声をかけてこられることもないのも事実で、アークは不思議そうにその女性を見た。
 そんなアークを、少し目を細めて見ながら
「はじめまして」
 と、笑顔で頭を下げた女性は
「自分は王室付きの研究者でスパシアーっていいます」
 と言って、にっこりと微笑んだ。
 見ると、なるほど白衣をまとっており、白衣の左腕には王家の紋章が刺繍されていた。
 そして、まだ情報を欲している風のアークに向かい、スパシアーは笑顔のまま補足を入れる。
「お父さんと古くからの友だちなんですよ」
 そうですか、と答えながらも
(父さん、騎士以外に知り合いがいたんだな)
 とか、アークは少し意外に感じた。
 見たところ、女性はクニスカのような文官的なこともしている騎士と言うわけではなさそうで、自己紹介の通りの根っからの文官のように見えた。
 年の頃は三十前後か、もしかしたらそれよりも少し若くて自分よりやや上、といった感じ。
 なんとも優しげな雰囲気の、少し不思議な空気を漂わせている——そんな女性だった。
(若い女性だが……父さんと、どういう接点なんだ?)
 父が失踪した十年前と言えばアークもまだまだ少年で、父親の女性関係などまるで知りもしないし興味もなかった。
 今の年齢になって思いつく、いろいろな考えが渦巻いている風のアークに、スパシアーは別段裏もなさそうな感じで微笑みかけた。
「ちょうど、牛舎に行って牛乳をもらってきたばかりなんですよ」
 スパシアーは杉の木をくりぬいて作ったミルクピッチャーを笑顔で掲げる。
 そんな前振りもなく入った情報に。はい……、と戸惑うような返事をするアークにスパシアーは練兵場の向こうを指さしながら、なおもにこにこ話し続ける。
「そして、私の研究室はすぐそこなのです」
 なるほど、研究者ならば研究室を持っているものなのかと。
 少しだけ納得の表情をみせ……でも、牛乳の話とのつながりがつかめずに不思議そうな表情を継続させているアークに、スパシアーはそれはそれはいい笑顔でこう尋ねた。

「よかったら、カフェオレでもいかがですか?」

 林にそよぐ風の中、枝葉の間から差し込む柔らかな日差しを思わせる笑顔で。
 ミルクピッチャーを軽く振りながら、スパシアーは微笑んだ。
 要するに——逆ナンと言うことだろうか?
 きわめてマジメなアークは、彼の予想の範疇からはみ出した問いかけに一瞬フリーズする。
 だけど、その笑顔に押されたのか。彼にしては珍しく、ぼーっと判断力を鈍らせながら
「はい」
 と、返事をした。
 その返事を聞いたスパシアーはアークに向かってよかった、とにっこり笑う。
「では、こちらです」
 上機嫌のスパシアーの後を無言で付き従いながら。
 アークはスパシアーの研究所に向かって、歩いて行くのだった。

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