#99:スパシアーの研究室(一)

「今、コーヒーを入れますからゆっくりしててくださいねー」
 一方的に言い残して、スパシアーは部屋の外にあるかまどにパタパタとサンダルを鳴らして小走りで消えて行く。
 アークは改めて、連れてこられた研究室の中を見回した。
(……こういうところとは、縁がなかったな)
 そこは、不思議な雰囲気の空間だった。
 どのくらいの冊数なのか、勘定する気にもならないほどたくさんの書物が収まった書架。
 大きな机の上は整理整頓がされていて、決裁待ちの書類や調べ物の書物、よくわからない実験用の器具などが整然と並べられている。
 そうした無機質な雰囲気になりがちな机の上に、ワンポイントでアクセントを与えている一輪挿しが目に入る。
 アークには花の種類などわからなかったが、野に咲く花のただ一輪で机の上が柔らかくなっているのはわかった。
 そのほか、椅子や応接セットなども……たとえばゴートの部屋のような質実剛健なモノではなく、それなりに柔らかくデザインされたものがチョイスされており、きわめて事務的であるべきこの部屋の主が繊細で上品な女性であるということを控えめに、だが、はっきりと語っていた。
 そして。
 そんな部屋の片隅に……執務机の脇に置かれた台座に立てかけられている——大きな黒い鎧。
 鉄とおぼしき金属製の、全身を隙間なく覆う漆黒のフルプレートアーマー。
 それは、パステルカラーのテーブルクロスとも、ハンガーに掛けられた草木染めのショールとも、そこかしこに置かれた鉢植えの観葉植物とも馴染まない——この部屋においては、全く異質の存在だった。
 そして、アークはその鎧に見覚えがあったものか、目を丸く見開いて独白した。

「——グラーディアス?」

 その独白に、ごりごりと豆を挽きながらスパシアーは微笑んだ。
「はい。『帝国守護』のグラーディアスですよ」
 その答えを聞いて、この鎧が式典の場で皇帝陛下の横に身を守るように立っていた姿を、アークは思い出した。
 噂に曰く——『生ける鎧』『言魂を使う人形』。
 さらに、その場に一緒に居合わせたゴート曰く——『どこかで開発者が、グラーディアスを操っているはずだ』。
 アークは目を丸くしたまま、細腕でコーヒーミルと格闘しているスパシアーを見る。
「では、グラーディアスの開発者というのは……」
 コーヒーを入れる時に使う、取っ手付きのひしゃく鍋……『ブリキ』の中に、小麦粉のように細かく挽いた豆を入れながら
「わたしなのですよ、これが?」
 と、おどけたようにスパシアーは笑った。
(——これを……作ったのか!?)
 アークは彼の身長でも見上げるばかりのグラーディアスを見て、なおも驚きの表情のままスパシアーに訊ねる。
「では……あの、なんとかという少女の人形も?」
 式典では、グラーディアスの脇にエプロンドレス姿の少女が控えており、これもまた噂に曰く『言魂人形』であるということであった。
 こちらは一見して人間にしか見えない出来で、アークも大いに驚いたものだった。
 その問いにスパシアーは、にっこりと微笑みながら答える。
「エニアックですね。あれは、私じゃなくて技術総監のガレノスさんが開発者です」
 アークは瞬時に帝国の重鎮である、気むずかしそうな老人の顔を思い浮かべる。
 そして、目の前でポットに水を入れているスパシアーの顔を眺め

 ——明らかに、作るものが逆だろう。

 とか、そんなことを考えているアークに、脅かすような口調でスパシアーは言う。
「ガレノスさんはエニアックを『ワシの娘』と呼ぶくらいの思い入れで研究をしてますから」
 すうっと息を吸い込み、ちょっとうつむいて上目遣いで
「『人形』なんて呼んだら、おこられますよー」
 と、おどけた感じに言うスパシアー。
「わかりました、気をつけます」
 と、苦笑して答えるアークに笑顔をみせて、スパシアーはブリキの中に入れた粉の上に砂糖を投入する。
「甘いほうがいいですか?」
 と、尋ねられたアークは寸暇の思案の後に答えた。
「お任せします」
 そんなアークの答えを聞いて、少し目を丸くしたスパシアーだったが、空中でスプーンを迷わせたあとで、えい! とばかりに勢いよくスプーンに山盛りにした砂糖を一杯ブリキに追加した。
 そして、ちょっと嬉しげに目を細めながらスパシアーはアークに話しかけた。
「やっぱり、お父さんに良く似てますね」
 スパシアーが、自分を通して父の姿を見ている風な感じを受けながら、アークはブリキを火にかけているスパシアーに尋ねた。 
「あの……父とはどのような?」

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